表象の不誠実さを超えて
スクール「アート」にのみこまれてしまわないように
7月21日(日)14:00 - 16:00
講師:遠藤薫
美術館やギャラリーがあるからアートがあるのではなく、人がいるところに表現がおこりそれがやがて作品といわれるようになる。このようにして創作に向き合うことの動機、そして表現とはどのようなものになるのでしょうか。これまでに手がけた《羊と眠る》などに触れながら、完成を前提せず連綿とつづいてゆくプロセスとしてのアートを考えます。
ゲルハルト・リヒターのドローイングについて
8月4日(日)14:00 - 16:00
講師:桝田倫広
2022年に東京国立近代美術館で開かれた「ゲルハルト・リヒター」展の最後の部屋に展示されていた近年のドローイング作品について掘り下げて考えます。絵画や写真作品を手がけ、歴史的な出来事から私的な出来事の記憶と表象に取り組んできたリヒター。従来の研究では、リヒターの画業においてドローイングは周縁的なものとして位置づけられてきました。しかし、リヒター自身が新たに絵画を制作しないと宣言してもなお、ドローイングは制作され続けています。リヒターにとってドローイングとはどのようなものか、改めて考えます。
戦争の時代と現在を芸術で結びなおすこと
11月30日(土)16:00 - 18:00
講師:河上直衣
太平洋戦争の時代を振り返りつつ、それを今に受け継ぐとしたら−−。戦時中、従軍画家として活動した洋画家・中村研一は《コタ・バル》などの作戦記録画をはじめ、戦争にまつわる絵画やスケッチを多く残しています。そうした彼の経験、画業や作品に対し、現代のアーティストやキュレーターはどのように応答することができるのでしょうか。講師が手がけた「笹川治子〈中村研一作品とともに〉届けられた色」展などをとおして考えます。
私の風景と写真術
12月7日(土)16:00 - 18:00
講師:畠山直哉
これまでに採石場や都市、アルプスや海岸線などを歩いて写真を制作してきた講師が、風景と自らの作品について語ります。風景とは目の前に茫漠と広がっているものではなく、そこから意味を獲得しようとする人間によっていちいち出現しているものだと考えてみます。果たして風景写真に、制作者の思いは写り込むのでしょうか。テクノロジーの発達によって日々おびただしい数のイメージが目まぐるしく行き交う今、遅れてやってくる「風景」写真について、講師の初期作品から近作《津波の木》までをとおして考えます。