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六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの声

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タイトル:六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの声

会期:2016年3月26日(土)-7月10日(日)

会場:森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)

キュレーター:荒木夏実(森美術館キュレーター)/ 小澤慶介(NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト]) / キム・ソンジョン(アートソンジェセンターディレクター、Samusoディレクター)/ ウー・ダークン(台北国際芸術村ディレクター)

アーティスト:ジェイ・チュン & キュウ・タケキ・マエダ / 藤井光 / 後藤靖香 / 長谷川愛 / 石川竜一 / 片山真理 / 小林エリカ / ナイル・ケティング / 松川朋奈 / ミヤギフトシ / 毛利悠子 / 百瀬文 / 西原尚 / 野村和弘 / 佐々瞬 / さわひらき / 志村信裕 / 高山明 / 山城大督 / ジュン・ヤン

主催:森美術館


Roppongi Crossing 2016: My Body, Your Voice

Saturday, March 26, 2016 – Sunday, July 10, 2016

Venue:Mori Art Museum (53F, Roppongi Hills Mori Tower)

Artists:Jay Chung and Q Takeki Maeda, Hikaru Fujii, Yasuka Goto, Ai Hasegawa, Ryuichi Ishikawa, Mari Katayama, Erika Kobayashi, Nile Koetting, Tomona Matsukawa, Futoshi Miyagi, Yuko Mohri, Aya Momose, Nao Nishihara, Kazuhiro Nomura, Shun Sasa, Hiraki Sawa, Nobuhiro Shimura, Akira Takayama, Daisuke Yamashiro, Jun Yang

Organized by:Mori Art Museum


「他者」はどこにいった

あるいは、埋め込まれた「他者」を探して

いま、「他者」なるものの姿が私たちの社会に埋め込まれて見えなくなっている、といったらどう響くだろうか。この一年「六本木クロッシング2016展:僕の身体からだ、あなたの声」の準備を通して考えていたことは、過去20年余りの間に、「他者」を巡る考えとその表れが少しずつ変化してきたということだった。新自由主義(国営企業や施設の民営化、貿易の自由化、社会保障の縮小などによって市場が資本配分する)という名の資本主義に駆動され、東西冷戦の終わりと共にグローバリゼーションの波が起こり始めようとしていた1980年代の後期、西洋の芸術はその波の先で「他者」と出会い、議論を巻き起こしながらそれを表していった。しかしながら、それが大波となって世界をひとのみにしてしまった時、出会うべき「他者」も波をかぶって姿を消し、時としてその重くのしかかる波間からあらぬ力を伴って現れ出てくるように見える。グローバリゼーションの果てに現れた不穏な世界情勢と2015年にパリで起きたテロ事件などに触れ、そうした「他者」を意識せざるを得ない。芸術はその時、そのような「他者」とどのような関わりを持てるのだろうか。

1980年代の「他者」

1989年にベルリンの壁が崩壊し、西側で渦を巻いていた資本主義が壁を乗り越えて流れ出ようとしていた時、芸術もその流れに合わせて「他者」に出会っていった。「他者」とは、「自己」と一組で考えられ、「自己」なる西洋から見た世界の見立てを構成するものだ。西洋の価値と区別されながら、それを補いつつ強化するものといってもいい。そうした「自己」が「他者」に眼差しを向けた展覧会「大地の魔術師たち」展が、ベルリンの壁崩壊と同じ年にパリのポンピドゥー・センターとラ・ヴィレットで開催された。ジャン=ユベール・マルタンの企画によって、欧米を中心とした現代美術作家50人と、アボリジニやネイティヴ・アメリカンなど文化の周縁といわれていた地域からの作家や、チベットの曼荼羅やナバホの砂絵、ナイジェリアの仮面などの作家を含む50人の表現が、同じ空間で展示された。それまで現地の権力者によって選ばれていた旧植民地の芸術を、マルタンがいう「私たち」の目で見て選んだ展覧会であった。これはまた、他の文化を扱い、それを己の文化的な脈絡において表す制度が存在しているという権能を折り込み、「他者」の文化の否定、あるいはその文化的脈絡からの逸脱であるといった議論を巻き起こした。その一方で、マルタン自身が世界中の現代美術が集まった真に初めての国際展であるといい[1]、美術批評家のベンジャミン・ブクローが「The Whole Earth Show」と呼んだように[2]、西洋の文化がその頃「第三世界」といわれた領域の文化と同じ地平に降り立ち、向き合ってゆく時代の趨勢すうせいを象徴的に表していたといっていいだろう。

「他者」との出会いとその表れの行方

1990年代に入ると、こうした両者の出会いを巡る考えと表れは、ITによる「電子・金融空間」の整備や国際資本の移動の自由化と足並みをそろえるようにフロンティアを切り拓いて広がり、国際展などにおいて議論されるようになった(その流れによって、ここでの議論も可能になっていると考えられる)。

1994年、ロンドンでインスティテュート・オブ・インターナショナル・ヴィジュアル・アーツ(Iniva)が設立された時に行われたシンポジウムでは、多文化主義や文化的多様性をテーマに、英国をはじめタンザニア、メキシコ、キューバ、日本などから発表があり、言語や視覚言語の出会いを巡って引き起こされる文化的現象や状況についての議論がなされ、『Global Visions: Towards a New Internationalism in the Visual Arts』[3](以下『Global Visions』)という一冊の本にまとめられた。そのなかで、たとえばサラット・マハラジは、「翻訳」という視点から「自己」が「他者」を捉える時に陥りやすい罠について思いを巡らせている。チョーレ・フェイジュウの作品《Product of Chohreh Feyzdjou》(1988–1992)に触れ、おびただしい数の広口瓶や何本もの巻き上げられた布などで溢れかえるインスタレーションの解釈について、イラン生まれのユダヤ人でユダヤの文化を持ちパリにて亡くなった彼女の生を念頭に浮かべ、複数の翻訳の可能性を示した。そして、そのいずれもがそれぞれを打ち消し合い、単一の解釈に回収され得ないことに「自己」の眼差しの不安定さを説いた[4]。この作品はマハラジが共同キュレーターを務めた2002年の「ドクメンタ11」にも出品されたが、それは、「大地の魔術師たち」展から13年を経てさらに一歩踏み出し、出会いのかたちと芸術の再定義を試みた展覧会でもあった。初めて非西洋圏から選ばれたディレクターのオクウィ・エンヴェゾーは、西洋近代の芸術に取り込まれてそれを補強してしまうことに注意を払いながら、世界の周縁にいた「他者」が、それを生み出していた「自己」なる西洋と出会い直し、実験的な文化を生み出すことで世界の見立てを編み直す試みを、「タブラ・ラサ」(ラテン語で「白紙状態」の意)という言葉で表した[5]。フェイジュウを始めとするすべての作品には、作品解説にしては長く、西洋の一元的な視点を解いてしまうような文章が付されたが、これは、切り子の面によって姿を変えるものを目にした時のような、決定のできなさ・・・・・・・から世界の構えを捉えようとしたものであった。

出会う「他者」から、埋め込まれた「他者」へ

2002年からさらに13年を経た2015年は、シャルリー・エブド社の襲撃事件がその始まりを象徴的に表すような年であった。そのような情勢の下で明らかになったのは、民族や文化の違いを乗り越えて出会う「他者」が後景に退く一方で、新自由主義の波をかぶってその下に潜り込んでいる別様の「他者」の姿が少しずつ輪郭を帯びてきたことだ。

ここで思い出されるべきは、パキスタンから英国に移り住んだ芸術家ラシード・アリーンだろう。彼は『Global Visions』に寄せた「New Internationalism, or the Multiculturalism of Global Bantustans」において、すでにその時、西洋社会に埋め込まれている「他者」について言及していた。そこで彼は、植民地主義の終わりが告げられて久しい1990年代においてさえ、英国では、「自由と歴史を綴る主体」であるはずの移民はその権能を奪い取られたままであると述べている。そしてまた、西洋社会が声高に唱えた多文化主義が、平等を望む「他者」を支配するイデオロギーであると同時に文化的な装置であると見抜き、自らも自由を剥奪された「他者」として西洋社会に生きていることを意識していた[6]。

その頃から20年余の間に、西洋で生まれた新自由主義は手足を広げ、文化だけではなくありとあらゆるものを西洋化していった。それは、西洋的価値の世界化と言ってもいい。その過程で、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)やそれにつづく経済新興国を生んできた。世界が資本の波に覆い尽くされてゆくと共に、「他者」もその波に呑まれて姿を消していったように見えるが、それは「自己」に同化してしまったことを意味するのだろうか。フランスの法学者ピエール・ルジャンドルは、「他者」が西洋の産み出したものを受け入れる時、それに伴う生き方や諸価値も同時に取り込んでいると述べている。そして、そのことが政治的・宗教的対立さえも乗り越えられる共通見解を生むのだが、それを拒絶しようとするものが現れると、西洋(化した部分)は、そうしてしまう己に気づかないままにそれを取り除くべきものとして扱うという[7]。それは言ってみれば、「他者」とは新自由主義という共通見解を拒絶するものであり、いまや世界の至るところにその影を色濃く落としているということにもなるだろう。資本の波をくいとめようと抵抗し、それとの関係を断ち切って抜け出そうとする時に、人は「他者」となって表れ出てしまう。その極端な徴が、この惑星の至るところで頻発しているテロ事件ということもできるだろうし、そこにまで至らずに潜んでいる人たちの数は計り知れない。哲学者である廣瀬純は、勇気をもって己の自由を行使し、新自由主義が仕掛けた軛くびきから抜け出そうとする人々を、フランスの小説家で映画監督であるマルグリット・デュラスの言葉を引きつつ「暴力階級」としている[8]。そうした「他者」に対して、芸術はどのように向き合うことができるのだろうか。

埋め込まれた「他者」を表すということ

「僕の身体、あなたの声」は、文字通り、人の存在、それも明かされずに親密な領域で密やかに語られるような人々の存在に関心が向いている。それは、このグローバル化した社会の構えによって生きる自由を取り上げられそうになりながらうごめいている、「他者」とも呼べる人々なのではないだろうか。そして、いま、そうした彼ら彼女たちにどのような眼差しを向けることができるのだろうか。1989年のように「自己」と「他者」を並べて見せるのか、1990年代から2000年代にかけてのように「自己」と「他者」の議論から見える世界の見立てを表すのか。あるいは、それらのどちらでもなく、東京を見渡すことができる美術館だからこそ、景色を眺めやりながらそうした「他者」に想いを馳せつつ、同時に、フランスの美術史家であるジョルジュ・ディディ=ユベルマンが言うように、可感的にするのはどうであろうか。可感的、それはつまり、私たちの思考と感覚が意味をなすとは見なし得ないものを、感覚によって近づき得るものにすることである[9]。たとえば、高山明が2020年東京オリンピックに関連する施設の建設に携わるであろう外国人労働者と、1964年東京オリンピックの時代に建設現場にいた労働者の語りと姿から、都市なるものを解き明かそうとする時、松川朋奈が彼女と同世代の女性たちの、追いやられている社会的な立場と理想像との距離を描く時、野村和弘が、他人(すでに亡くなっている人も含む)のボタンを観客が投げることから、無為なる人間とその共同体をぼんやりと浮かび上がらせる時、藤井光が近代国家や国家と国民の間にある複数の力関係と、それによって生み出された歴史の記憶を引き受ける現代の人々を追う時、ミヤギフトシが暴力や愛を巡る神話の登場人物の関係にアメリカ合衆国・日本・沖縄の関係を重ね、またそうした関係を解消するものとしての同性愛者の明かされぬ語りを差し挟む時、佐々瞬が共同体の徴である「旗」を庶民の手に戻しながら、資本と結びついた国家と隔てられている庶民の姿を表す時、芸術家たちが出会って耳を傾けながら感じ取っていった、新自由主義の波に洗われている人たちの姿が、誇らしさや頼りなさ、歓びや戸惑いを伴ってそこに浮かび上がってくるように見えないだろうか。その時、分かち持たれる彼ら彼女たちの気配や表情、言葉、温もりは、世界の構えに対する私たちの思考と感覚をきっと逆撫ですることだろう。

出会う「他者」から埋め込まれた「他者」へ。とはいえ、昨年には「他人の時間」展(巡回展:東京都現代美術館、2015/国立国際美術館、大阪、2015/シンガポール美術館、2015–2016/クイーンズランド州立美術館|現代美術館、オーストラリア、2016)や「誰が世界を翻訳するのか」展(金沢21世紀美術館、2015)が開かれたように、「出会う他者」がいなくなってしまったわけではないし、それを巡る議論が尽きたわけでもない。資本や人、モノ、イメージが移動するなかで、また時を経ることによって、あるいは「他者」をそれと定めてしまう力関係がある限り、「他者」と出会い直すことがあるだろう。その一方で、「他者」は、私たちのすぐ隣に、あるいは私たちの社会のうちにさえ見出すことができる。政治的な状況によってこの国に追いやられてきた人たち、資本の渦のなかで自由を奪われそうになっている人たち、そして、それによって作られてゆく彼ら彼女たち(それは私たちかもしれない)の関係や体、顔つき、表情、声。「僕の身体からだ、あなたの声」から、どのような回路が「他者」に開かれるか、この実験の行方を見守りたい。

小澤慶介

(特定非営利活動法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト] キュレーター)

[1]Benjamin Buchloh, “The Whole Earth Show,” Art in America, New York: Brant Publications, May 1989. p. 211.

[2]同書

[3]Jean Fisher ed., Global Visions: Towards a New Internationalism in the Visual Arts (London: Kala Press in association with INIVA, 1994).

[4]同書、p. 31

[5]Heike Ander and Nadja Rottner ed., Documenta 11_Platform 5: Exhibition Catalogue (Ostfildern: Hatje Cantz, 2002), pp. 45-49.

[6]前掲書。Global Visions. p. 8.

[7]ピエール・ルジャンドル『同一性の謎:知ることと主体の闇』橋本一径訳、以文社、東京、2012年、pp. 35-40, 52, 73-75

[8]廣瀬純『暴力階級とは何か:情勢下の政治哲学2011–2015』航思社、東京、2015年、pp. 12-17, 134-139

[9]ジョルジュ・ディディ=ユベルマン「可感的にする」、『人民とはなにか?』市川崇訳、以文社、東京、2015年、pp. 118-121

 

Where is the Other?

Or, In Search of an Embedded Other

If I said that today the figure of what is understood as the Other has become embedded in our society and can no longer be seen, how would it resonate? What my thoughts have turned to over the course of a year through the preparations for Roppongi Crossing 2016: My Body, Your Voice is that, for the past 20 years or so, the ideas surrounding what constitutes the Other and its representation have gradually changed. In the late 1980s at a time when, driven by capitalism under the name of neoliberalism (the allocation of capital in the market through the privatization of state-owned enterprises and facilities, the liberalization of trade and the reduction of social security), the wave of globalization accompanying the end of the Cold War was beginning to form, Western art encountered the Other at the crest of that wave, making it manifest while spurring discussion. However, as this wave grew to colossal proportions, swallowing the world in one go, the Other was also drawn under the water and disappeared, seeming on occasion to rise to the surface accompanied by some unexpected force as it drifted on this heavily burdened wave. After being exposed to disturbing world affairs and the Paris terrorist attacks of 2015 that emerged as a consequence of globalization, we are now compelled to be conscious of this Other. Under such circumstances, what sort of relation is possible between art and such an Other?

The Other of the 1980s

When the Berlin Wall collapsed in 1989 and the swirling current of capitalism on the west side tried to scale the wall and spill over it, art too followed its course to encounter the Other. The Other can be understood to pair up with the Self-an embodiment of the West and the structure of the world as seen from its perspective. It might also be said that, while some reparations are being made, a strengthening of this state of affairs is occurring as distinctions are made between values that diverge from those of the West. The exhibition Magiciens de la terre, in which this Self directed its gaze to the Other, was held at the Centre Georges Pompidou and Grande Halle de la Villette in Paris in the same year as the fall of the Berlin Wall. Organized by Jean-Hubert Martin, it involved 50 contemporary artists with a focus on Europe and the United States, as well as 50 artists from cultural margins, such as those from Aboriginal and Native American communities, and the work of artists who create Tibetan mandalas, Navajo sand paintings and Nigerian mask-making, all exhibited in the same space. It was an exhibition in which Martin selected art of former colonies from Our perspective, works that had until then been chosen by local persons of authority. It too was concerned with other cultures, generating debate about the denial of the culture of the Other or departures from such cultural contexts while implying the existence of a social system and power that can gaze and represent the Other in its own cultural context. On the other hand, while Martin himself can be said to be the first to have held an international exhibition truly gathering contemporary art from around the world,[1] echoing the thoughts of art critic Benjamin Buchloh in reference to “The Whole Earth Show,”[2] it can also be said to have symbolically represented a trend of the times: Western culture standing on the same horizon as, and coming face to face with, the culture of what had started to be referred to as “the third world.”

The Encounter with the Other and the Manifestation of Its Whereabouts

Entering the 1990s, the ideas and manifestations surrounding such an encounter between the Self and the Other opened up a frontier in synch with the establishment of “electronic/financial space” in IT and the liberalization of international capital flows, coming to be discussed widely in international exhibitions (this argument might also be considered to have been made possible due to this tide). At a symposium held in 1994 following the establishment of the Institute of International Visual Arts (Iniva) in London, presentations from the UK, Tanzania, Mexico, Cuba, Japan and other nationalities on themes of multiculturalism and cultural diversity were held, and discussions about the cultural phenomena and circumstances caused by the encounter between language and visual language took place, later to be summarized in a book titled Global Visions: Towards a New Internationalism in the Visual Arts[3] (hereafter referred to as Global Visions). In this book, Sarat Maharaj contemplates the trap one can easily fall into when the Self attempts to grasp the Other from the perspective of “interpretation.” He touches upon a work by Chohreh Feyzdjou, Product of Chohreh Feyzdjou (1988-1992), an installation teeming with countless jars and rolled-up cloth that, bringing to mind the life of the Iranian-born and Jewish Feyzdjou who had taken Jewish culture to Paris with her where she later died, presented the possibility of multiple interpretations. He then asserts the instability of the gaze of the Self in order that these possible readings cancel each other out to prevent the work being recovered in any single interpretation.[4] The work was shown in Documenta 11 in 2002 for which Maharaj served as co-curator, an exhibition attempting to redefine art and the form of encounters with the Other that constituted a step forward from what had been achieved in Magiciens de la terre exhibition 13 years before. While being mindful not to reinforce the Other that had been incorporated into Western modern art, Okwui Enwezor–director of the same exhibition, and the first to be selected from a non-Western region–brought the Other on the periphery of the world to re-encounter the Self of the West that had brought it into existence, likening an attempt to re-knit a worldview through the generation of experimental culture to the tabula rasa (meaning “blank slate” in Latin).[5] Starting with the work of Feyzdjou, long commentaries were provided for all works as if to unravel the unified viewpoint of the West, but which tried to capture the world’s posture from a position of being undecidable, in a manner similar to that of facing a multi-faceted cut glass that changes according to which side it is observed from.

From an Encountered Other to an Embedded Other

13 years on from 2002, the year 2015 can be seen as the beginning of this transition, symbolically represented by the attack incident on the Charlie Hebdo newspaper company. What became evident under such circumstances is that as the Other encountered when overcoming ethnic or cultural difference retreats into the background, the figure of a different Other lying hidden underneath a mask of neoliberalism has gradually come to be delineated.

What should be remembered here are the thoughts of Rasheed Araeen, an artist who moved to the UK from Pakistan. In a discourse written for Global Visions titled “New Internationalism, or the Multiculturalism of Global Bantustans,” he argued that the Other had already become embedded in Western society. He posited that even in the 1990s, long after the end of colonialism had been declared, immigrants in the UK who should be “subjects binding freedom and history” remained deprived of the power to realize such a position. In addition, he discerns the multiculturalism loudly advocated by Western society as both an ideology governing the Other who seeks equality and as a cultural device, aware at the same time that he is also living in Western society as a freedom-deprived Other.[6]

In the period spanning 20 years that followed, neoliberalism born out of the West spread its limbs, westernizing not only culture but all manner of things in what might well be called a globalization of Western values. In the process, BRICs (Brazil, Russia, India, China, and South Africa) and the economies of other emerging nations following behind them have also taken shape. Appearing to have disappeared as it is swallowed together with the world by the all-encompassing wave of capital, has the Other also been assimilated into the Self? French jurist Pierre Legendre has stated that when the Other comes to accept what has been produced by the West, ways of living and various values associated with it will also be adopted. And although this produces a common agreement surpassing even political and religious confrontation, once there is something that appears to reject it, the West (the Westernized element) treats it as something that should be removed while unaware that it is doing so.[7] This, in a manner of speaking, is a rejection by the Other of a common understanding proposed by neoliberalism, and this has now come to drop its heavy shadow throughout the world. At the point when people appear to stop the wave of capital or resist it, severing ties to break free, they come to take on the appearance of the Other. An extreme sign of this can be found in the terrorist attacks recurring all over the planet, while the number of people lurking on its periphery are too numerous to quantify. Quoting the words of French novelist and film director Marguerite Duras, philosopher Hirose Jun refers to people who courageously exercise their own freedom and try to break free of the yoke of neoliberalism as a “class of violence.”[8]How can such an Other and art be brought to relate to one another?

Representing the Embedded Other

The interests of My Body, Your Voice are literally directed to the presence of those who, without allowing their existence to be revealed, secretly speak in intimate territories. Are they not the individuals who constitute the Other, squirming as their freedom to live is on the brink of being taken away from them by the structuring of globalized society? And how should we go about directing our gaze upon them? Do we show Self and Other side by side as in 1989, or do we represent an allusion to the world that becomes visible from a discussion between the Self and the Other as in the period from the 1990s through to the 2000s? Alternatively, unlike either course, what of gazing over the landscape of Tokyo–the very thing permitted by the height of this museum–while moving our thoughts to such Others and at the same time “rendering (them) sensible,” to quote French art historian Georges Didi-Huberman? Rendering sensible, in short, is the notion of trying to draw near, by way of the sentiments, to what can be discarded by general thoughts and feelings.[9] For example, when Takayama Akira attempts to understand the city from the words and impressions of foreign workers who may be employed to work on facilities for the 2020 Tokyo Olympics, together with workers from construction sites in the era of the 1964 Tokyo Olympics; when Matsukawa Tomona interviews women of her own generation and depicts the distance between the interviewees’ ideal images and the social position they are driven to; when Nomura Kazuhiro vaguely delineates a sense of inoperative human community through the audience’s action of throwing buttons belonging to others (including those of people who have died); when Fujii Hikaru represents people of our era bearing the memory of history formed out of the modern state and the plurality of power relationships between nations and their citizens; when Miyagi Futoshi superimposes the romantic and violent relationships between mythological characters onto the relationship between the United States, Japan and Okinawa, inserting disavowed narratives speaking of homosexual intimacies as a means of dismantling such relationships; and when Sasa Shun represents a figure of common people separated from the State and its ties with capital, returning to their hands the “flag” as a symbol of the community, will the figure of people washed by the wave of neoliberalism whom these artists have encountered, turned their ears to and perceived not be brought to the surface, accompanied by their pride and instability, joy and confusion? The signs and expressions, words and warmth of these men and women shared at this moment will surely come to disturb our thoughts and feelings toward the structure of the world.

From an encountered Other to an embedded Other. Nonetheless, as can be seen in the exhibitions Time of Others (Travelling Exhibition: Museum of Contemporary Art Tokyo, 2015; The National Museum of Art, Osaka, 2015; Singapore Art Museum, 2015-2016; Queensland Art Gallery | Gallery of Modern Art, Australia, 2016) and Who interprets the world? (21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa, 2015) held last year, the “encountered Other” has not disappeared, nor has discussion around it been exhausted. Amongst the movement of capital and people, goods and images, and through the passage of time, or rather, as long as there is a power relationship that determines what the Other is, further encounters are certain to take place. On the other hand, the Other can even be found sitting next to us, right within our own society–people who have been relegated to this country due to the political situation of their own, those on the verge of being deprived of their liberty amidst the swirl of capital, and the relationships, bodies, facial expressions, feelings and voices of those men and women (potentially any of us) created by such circumstances. What paths will be opened up to the Other through My Body, Your Voice? I am keen to follow where this experiment goes.

Ozawa Keisuke (Curator, Arts Initiative Tokyo [AIT])

[1] Benjamin Buchloh, “The Whole Earth Show,” Art in America (New York: Brant Publications, May 1989), p. 211.

[2] Ibid.

[3] Jean Fisher ed., Global Visions: Towards a New Internationalism in the Visual Arts (London: Kala Press in association with INIVA, 1994).

[4] Ibid., p. 31.

[5] Heike Ander and Nadja Rottner ed., Documenta 11_Platform 5: Exhibition Catalogue (Ostfildern: Hatje Cantz, 2002), pp. 45-49.

[6] Op. cit., Global Visions, p. 8.

[7] Pierre Legendre, La Balafre: À la jeunesse désireuse… (Paris: Mille et une nuits, 2007), n.p.

[8] Hirose Jun, Bōryoku kaikyū to wa nani ka: jōseika no seiji tetsugaku 2011-2015 (¿Qué es la clase de la violencia?: una filosofía politica bajo la coyuntura, 2011-2015) (Tokyo: Koshisha, 2015), pp. 12-17, 134-139.

[9] Georges Didi-Huberman, “Rendre Sensible,” Qu’est-ce qu’un peuple? (Paris: La fabrique, 2013), n.p.