タイトル:記憶へのまなざし your memorabilia
時期:2003年4月4日(金)〜4月6日(日)
場所:東京国際フォーラム 映像ホール
アーティスト:スーザン・ヒラー / サキサトム / ウリ・ツァイグ / 三田村光土里 /富田俊明 / セイフォラー・サマディアン / 小野環 /アネッケ・A・デ・ブーア / フィオナ・タン /ヨハン・グリモンプレ
主催:NICAF事務局
your memorabilia
4th April 2001 – 6th April
Venue : The Tokyo International Forum
Artists : Susan Hiller / Saki Satom / Uri Tzaig / Midiri Mitamura / Toshiaki Tomita / Seifollah Samadian / Tamaki Ono / Anneke A. De Boer / Fiona Tan / Johan Grimonprez
Sponsors : NICAF Executive Office
スペクタクル社会の記憶 your memorabiliaに寄せて
「スペクタクルの社会では、ある自律的な圏域の中へと分離されるのはこの交流可能性自体、この類的本質そのものなのである。交流を阻害しているのは交流可能性自体であり、人間たちは、自分たちを結びつけているものによって互いに分離されている。」¹
ジョルジョ・アガンベン
21世紀に入ったとはいっても、今に生きる私たちに影響を与えていることは、多かれ少なかれ20世紀に端を発している。その20世紀を通して、私たちの物事に対する認識に大きく影響を与えた出来事の一つとして、メディアの到来が挙げられるだろう。写真、テレビ、インターネットなど、先進国ではそれらがー般の家庭に徐々に入りこみ、人間の知に貢献するとともに、それが反映される知の領域を広げていった。今や世の中はグローバルな社会と形容されるようになり、メディアが映し出す一見共約可能とさえ見えるコミュニケーションの一枚岩の上では、様々な事象は、真っ先に考えるべき対象として「グローバル」な範疇に行き届いている感が拭い去れない。ここで考えてみたいことは、メディアが開く世界のそこかしこで起こることを知として伝えるということが、それを享受する人々に対して、ある特化された記憶の対象と記憶を供与しているということにはならないだろうかということだ。
繰り返された戦争とテクノロジーの開発、そしてそれら全てを後押しする資本主義の体系が、政治、あるいは経済のシステムはもとより、コミュニケーションの形態においても世界を一つに束ねた。それが、20世紀という時間的枠組みと捉えることが出来るだろう。市場経済、G7先進主要7カ国会議、衛星回線などによる24時間体制のテレビ放送網、インターネット、国際交通網、これらは、今や国際的なビジネスマンと化した主要先進国の加速する国益競争と共に成長し、世界を呑み込んできた。90年代を待たずして現れた東西冷戦の終結と、ほぼ時を同じくして明らかになってきた世界の構造について、マイケル・ハートとアントニオ・ネグリが言うように²、世界はもはやただ一つの規範の下に秩序化されているのかもしれない。
このような画一化される世界的な共同体において、メディアは、私たちに、剥き出しの眼が直接捉えることの出来ない遠隔の出来事、あるいは国家国民の意志などの抽象的な観念を知として与えている。それは、そうした全世界的な構造に、自ら積極的に参加する地域や国家といった共同体はもとより、競争力のないままに参加を余儀なくされている地域、国家、あるいはそれに属さない人々をも巻き込んで、日々新たな知が更新され、伝達されているということだ。それゆえメディア上に渦巻く情報は、そうした構造を積積極的に推し進める国家や共同体によってある程度管理されたものになっていると推し測ることができるだろう。
世界中の多くの人々にとって記憶に新しい、2001年の9月にニューヨークで起こったテロ事件を考えてみよう。それが発端になり、明らかにしたのは、まさに冷戦後に次第に姿を現した世界的な構造であり、またその事件を巡る二極化した視座によりそれを一般化するという動きだったということができるだろう。その担い手たったのは、種々のメディア、取り分けテレビのニュース報道だったに違いない。黒い煙を吹いて聳え立つ二棟の建物、それに向かってゆく旅客機、崩れ落ちる建築、砂塵の中を事件の因果関係など知る由もない入々が逃げ惑うといった場面が映像で繰り返し流され、一連の出来事がテロの可能性が高いということ、現場の悲惨な状況などが伝えられた。そしてそれ以後、メディアが追ったのは、アメリカ合衆国大統領陣営の反応と、テロ首謀者を匿っているとされたアフガニスタンのタリバンだった。メディアは一様に論調を揃え、それぞれが、1日24時間の多くを割いて、合衆国がテロ組織壊滅のために宣言した「無限の正義」(後に「不朽(不屈)の自由」)作戦に対するアルカイダという図式の下に報道を展開した。
まさにあの映像群は、享受した人々において報道内容に対する反応の違いは認められたものの、全世界的にそうした二極化の構造に沿って語られる、共約された出来事を映しだしていたということができるだろう。その根底には、既得権益を分かち合うメディアと共同体の一部の人間による対象の選別と伝達、そしてそれをも支配する、超国家的な構造を巻き込んだ全体的な志向性が感じられる。そうした中で、万人に共通とされる出来事は、真理ではなく、むしろこの全世界的に敷設されている構造をスペクタクルとして提示する中味のない平板なものにすり替えられているということがいえるのではないだろうか。世界的なメディアの体系に映しだされるスペクタクルについて、ジョルジョ・アガンベンは、「真理と嘘は見分けがつかなくなり、スペクタクルはもっぱらスペクタクルを通じて合法なものとされた。」³と言う。もはやメディアによって隅々まで隈なく照らし出されたこの惑星において、記憶されるべきことは一方的に、また一元的に集約されてしまっている。そこに万人の記憶の世界化が見え隠れする。
このような構造においては、メディアに取り上げられず、出来事として一般化されにくい事柄が存在するという事実については注意がいかないものだ。⁴それは、規範化しにくく、構造に組み込みにくいという意味で、全体を束ねるカにとっては敬遠されがちだからだろう。例えば、今まで見てきた二極化の中では、アメリカ合衆国、あるいはそれに足並みをそろえる国々において報復戦争に反対する市民の声であり、またアフガンにおいてはそうした構造に何の政治的決定権も発言権も持たない難民の声ということができるだろう。その難民こそ、まさにメディアによって積極的に取り上げられてこなかったものの、20世紀を通して開かれた圏域を別様に、そして象徴的に表している存在ではないだろうか。というのも「開かれた」という謂いに国境という概念が失効してきたということと共に、それによって括られていた近代の国民一国家体制の崩壊が示されているとすると、難民とはまさに国家という共同体の不全さを負っているという側面もあると思われるからだ。そうした難民が語る出来事は、知の対象となる以前に、語ることさえも許されていない難民自身の政治的な立場により、闇から闇へと葬り去られるのを余儀なくされているとはいえないだろうか。
アフガンは、先のテロ事件とその報道により、一夜にして全世界から注目を集めることとなった。しかしメディアで知らされたアフガンは、アメリカ合衆国との相対的な関係で、しばしば「テロリストの巣」などと形容された。そうした眼差しが明るみにだすのは、国家の大多数の成員が直面している現実とは、はるかにかけ離れたものというしかなかったはずだ。以前はタリバンによるバーミヤンの仏像破壊が時たまニュースで取り上げられるくらいだった。しかし、メディアが積極的に明かさなかったアフガンの一側面として、難民の問題がある。過去20年に渡って流出した難民について、イラン出身の映画監督モフセン・マフマルバフは次のように言う。「過去20年のあいだに、700万人が国外で難民状態になったわけです。(中略)そしてこの難民に関してメディアは沈黙を守り、何も伝えてくれませんでした。」⁵マフマルバフは、現在も絶えない越境するアフガンの民や、タリバン政権下の負の遺産に正面から向き合う手段的行為として、「カンダハール」という映画を撮った。特別に訓練されたキャストを使うわけでもなく、観客動員を見込んだ脚本を採用するでもなく、映画のなかで起こっているような経験を実際の生活において体験した人々を集めて、虚実を交えながら、メディアに取り上げてこられなかったアフガンを映し出そうとした。ブルカに覆われて生活する女性、義足を待ちつづける人々、理由のない盗みや嘘が混乱を一層掻き立てる状況。こうした映画に対して、2001年5月のカンヌ映画祭の折り、マスコミは一様に「アフガンのような重要性のない国についての映画をなぜ作ったのか。」⁶という問いをマフマルバフに対して発したという。しかし、その4ヶ月後の9月に起こったテロ事件後、アフガンを舞台にしているこの映画は、ヨーロッパの国々はもとより、アメリカ合衆国においても配給の権利巡って争いが起こるほど注目されることになった。この事実が明らかにするのは、アフガンに対してグローバルな圏域に浮かびあがる、一方的で暴力的な視線である。それが捉えるのは、アフガンという土地に在り続けた生の営みではなく、どこまでいっても、全世界を呑み込まんとする主権の利害関係の上でしか推し測られることのない「アフガン」ということだ。
メディアが構築する二極間のパワーゲームの間には、政治的決定権を持たない一個人の意思もとより、政治的な身元を剥奪されてもなお、自らの身の振りようを手段として近代国家とその集合が取り決めてきたことを問う難民の、明かされない記憶の海が広がっている。
世界化される記憶と、明かされない記憶。「世界」を射程に繰り返されるスペクタクル映像と、語られない個人の記憶。マーシャル・マクルーハンは、メディアは世界を狭くするといったが、実はそうではなく、この文章の冒頭で引用したアガンベンの言葉のように「交流を阻害しているのは交流可能性自体であり、人間たちは、自分たちを結びつけているものによって互いに分離されている。」という印象を与える。確かに、メディアの力を用いて、「世界」に対する認識を一般化してゆくということはある程度可能だろう。しかし、そうした交流の可能性を手放しで喜ぶ前に、メディアが選択する事件や、それに付随する映像、解説などは、メディアやそれを包摂するシステムの意思が内在化されていることより、事は多かれ少なかれ翻訳されているということに対して目を向けるべきだろう。メディアに晒されている人々は、事の真理を享受しいるというよりは、「翻訳価値のあるとされる事柄」の翻訳を受け取っているに過ぎない。イランのイスラム法学者が、2002年に東京で開かれたニューヨークのテロに関するシンボジウムにおいて、「テロを根絶するために、イスラームを理解しなければならない。イスラームを理解するためにはコーランを読め。」⁷と言い放ったことは、「イスラム」を考えるならば、メディアによる翻訳の外にも眼を向ける必要があるということを端的に示していたといえるだろう。
翻訳という行為について考えるとき、一方では、グローバルな圏域において、異なる要素間の差異を埋め、それぞれを結びつける機能があるのに対して、片や、一方がもう片方を完璧に翻訳できる範囲の限界ということを忘れてはならない。そうした翻訳の避けられない問題について、サラ・マハラジは言う。「翻訳不可能性について目を向けるということは(中略)、翻訳の過程で見落とされてしまう側面や、翻訳によって結果的に訳されずに残されてしまっている部分にも注意を向けることである。」⁸
政治的共同体に属する個人どうし、また個人と共同体、共同体どうし、さらにはそうした共同体と難民、それらの隔たりを埋め、万人のコミュニケーションを限りなく平板化するメディアの支配力は圧倒的だ。このような抗しがたい、しかし気づかなければ呑まれてしまうような大きな渦の中で、メディアに映されることのなかったものや、考えられていなかったものをいかに捉えてゆけるのだろうか。それは、もしかしたら翻訳という機能のレトリックに気づき、翻訳され得なかった余白に対して眼差しを向ける意思や行為に拠るのかもしれない。そうすることで、メディアに作られ、多くの人々の心に敷設される「大きな記憶」と、例えば、人権に擁護される以前の剥き出しの生の「小さな記憶」とを同列の問題として考えられるのではないだろうか。
20世紀を通して形成されてきた世界を1つにまとめようとする力は、それを手助けするメディアによって、人々の記憶をも均質化してしまう。その中では、事件や観念はスペクタクルなものとして表され、世の中を賑わせる。一方で、そうした力が見過ごしてきたことの存在を忘れてはならない。2003年3月、世の中が戦争に向かおうとする不穏な空気に包まれている。メディアが日々それを報道し、国連によるイラク査察、フランス、ロシアによるその強化支持、アメリカ合衆国のイラクに対する強行姿勢、日本の政治的身振りなどを目にするたびに、「カンダハール」に出ていた素人の役者たちのことが思い出される。大きな出来事に触れながらも、一方で彼らに眼差しを向け、彼らが負ってきた記憶に対して沈思する時である。
小澤慶介 2003年3月 注)この文章は、2003年3月20日以前に書かれたものです。
1ジョルジョ・アガンベン「人権の彼方に 一政治哲学ノートー」高桑和巳訳、以文社、2000年、P87 2マイケル・ハート、アントニオ・ネグリ「帝国」水嶋一憲、酒井隆史、浜邦彦、吉田俊実訳、以文社、2003年、P4「この新たな形態は、単一の支配論理のもとに統合された一連の国家的かつ超国家的な組織体からなるということ、これである。この新しいグローバルな主権形態こそ、私たちが〈帝国〉と呼ぶものにほかならない。」 3ジョルジョ・アガンベン「人権の彼方に 一政治哲学ノートー」高桑和巳訳、以文社、2000年、P84 4阿部浩己「消されゆく難民たち」現代思想2002年11月号、P80 5モフセン・マフマルバフ「カンダハール」来日記者会見、ユリイカ2002年3月号、P83 6モフセン・マフマルバフ「カンダハール」来日記者会見、ユリイカ2002年3月号、P83 7鈴木均「マフマルバーフとイラン社会」ユリイカ2002年3月号、P138 8サラ・マハラジ「Perfidious Fidelity」, Global Visions, London, 1994
Memory in the society of the spectacle
– For “your memorabilia” –
“…in the society of the spectacle it is this very communicativity, this generic essence itself (that is, language as Gattungswesen), that is being separated in an autonomous sphere. What prevents communication is communicability itself; human beings are kept separate by what unites them.” ¹
Giorgio Agamben
Although the 21st century has unfolded, what affects the realities of our time more or less derives from the 20th century. Throughout the 20th century, we could cite the advent of various media as a crucial element that has largely influenced the way we perceive things. In so-called developed countries, photography, television or the internet have gradually permeated as tools with which to mirror the world and contributed to the knowledge of the general public, while it has also expanded the space which it reflects. Society is today described within the notion of the global and, on a seemingly commensurable realm of communication which the media reveals, varied events are conveyed to the corners of the globe, serving knowledge. In this short essay, what I would like to focus on is whether this conveying of knowledge through the space of various media means something other than providing objects to be encoded in the recipients’ mind as a specific memory.
The 20th century can be understood as a century in which the world came to be bounded by a single rule through for instance politics, economics or ways of communication, as a result of a number of wars, the advent and development of technologies and above all the system of global capitalism. Stock markets, the G7, 24 hour world wide television networks, the internet or world wide transport systems have grown in hand with accelerated economic activity creating increased GNP by businesses in leading countries and have encompassed the world as a whole. Describing a structure of the world which emerged at more or less the same time as the end of the cold war just before the 1990’s, the present day world is governed by a sole discipline, as Antonio Negri and Michael Hardt have put it. ²
In such a globally standardized space, the media provides us with knowledge by transmitting events which happen in remote places, which our retinas cannot capture directly, or abstract ideas such as the identity of a nation or community. In this, knowledge today is de-coded, inscribed and re-coded day by day and diffused to people, involving not only the developed countries and its communities but also less competitive ones or even people who do not belong to any communities. We can assume that this is controlled to some degree by the leading powers.
As a memory still resonant in many people’s minds, let us think of the terrorist attacks in New York in September 2001. One aspect revealed by this event was the presence of something other than the global structure which emerged after the cold war, as well as its generalization. It was the media, especially television broadcasting, that seemed to fuel this tendency. The twin towers spouting black smoke, the attacking planes, collapsing buildings, escaping people in the dust; all these scenes were repeated and the turmoil was reported in relation to possible terrorism. In the following days, the media traced the reaction by the U.S. government as well as the Taliban in Afghanistan, which was thought to be sheltering terrorists. Much of the media spent considerable time serializing these events and picturing them within a structure in which the United States declared what amounted to an ongoing, just war called “Infinite Justice” (or “Enduring Freedom”), framing the issue as a fight back against perceived foes such as the Taliban and Al-Qaeda.
This indicates that no matter how people received and reacted to the news, the depictions they experienced could be seen as something commensurable in terms of the representation of the event through the exclusive perspectives of a stark dichotomy. It should be taken for granted that the selection and transmission of the news was upheld by the power not only of a small number of people in the media community that share benefits, but also of the global governing system which forms them. In these circumstances, such events seem no longer to be reflecting the truth, but rather claiming sheer substitution that mirrors the emerging world structure like a spectacle. As for this kind of spectacle represented through worldwide media coverage, Georgio Agamben ponders, “truth and falsity became indistinguishable from each other and the spectacle legitimized itself solely through the spectacle.” ³ On the earth revealed through the media, an event might be represented within what we might refer to as a one-dimensional visual Esperanto and unveiled as an object to be memorized. In this, there arouses the concern that a memory might be globally standardized.
At such an edifice, people are rarely aware of marginalized events outside the media. ⁴ This is because they tend to be seen as interruptions in the processes of disciplining and framing exerted by global hegemonic powers. For instance, within current binary power structures, these can be seen in the anti-war protests by citizens in the United States and other countries, or refugees in Afghanistan. Refugees are one of the aspects that alternatively symbolizes the space of the 20th century in terms of something having not been clarified through the media. For, if the modern nation state, which is perhaps understood as a defined territory containing an identified people, has been gradually thrown into question along with a situation described as the “border- less” or “global” throughout the 20th century, the existence of refugees has seemingly presented a negative facet of this phenomena as if it were a deficient aspect of this process. The life of refugees might be smothered and neglected from the public realm without ever being acknowledged as a target of knowledge, because they remain devoid of a political voice.
With the terrorist attacks and its ensuing news, Afghanistan immediately came to attract the attention of the world. However the Afghanistan which was reported through the media, was often described as “a home of terrorism” in relation to the United States; this was though, far from the reality that the majority of people face in their everyday lives. In recent years, Afghanistan hardly appeared in the media except for the demolition of the Bahmiyan statues by the Taliban. One of the aspects that the media has not efficiently exposed about Afghanistan is the issue of refugees, Referring to Afghan refugees who had crossed the border towards Iran, Mohsen Makhmalbaf says, “Over the past twenty years, seven million people have become refugees outside their own country and the media has kept silent and has not transmitted it.” ⁵ He made a film called “Kandahar” as a gesture to face the negative legacy left by the former national dictatorship of the Taliban. Without hiring professionally trained actors and actresses, and without providing an exaggerated scenario counting on financial success, he depicted an Afghanistan of mixed truths and fictions involving local people who had experienced the scenes in the film in their real life. Women in Boorkha, people waiting for artificial legs, turmoil caused by theft and lies, these were some of the scenes which illuminated another facet of Afghanistan.
At the Cannes Film Festival in May 2001, it is said that the press asked him why he had made a film about a seemingly unimportant country like Afghanistan in the international context. ⁶ Four months later, however, “Kandahar” came to draw considerable attention with the advent of a new terrorism, not only from Europe but also from the United States to the degree that there was a dispute regarding the share of the films distribution rights. What is illustrated by this is the remorseless and biased gaze against Afghanistan that continues. It speaks of an Afghanistan that was evaluated and perceived only in relation to the business of the prevailing hegemony of the world and not the life that has been rooted in the land for many years.
Between the two poles of this power game, there lies a sea of disavowed memories of individuals, who do not possess any definitive rights in making political decisions, or of refugees who cannot be political subjects, and who do not possess any political rights.
The standardization of memory arising in the global realm, fabricated within a recapitulated spectacle through the media, overshadows the memory of the individual. Marshal McLuhan believed that the media ties and unites constituents throughout the world; however Giorgio Agamben’s words sound more true: “what prevents communication is communicability itself; human beings are kept separate by what unites them.” It is possible to some degree to generalize an idea throughout the world through the media. However, before celebrating the possibility of exchange, perhaps it is worth noting the fact that all aspects of the media are selected and their accompanying images and explanations are more or less translated, entailing the internalized intentions of the media industry or far greater structures that encompasses the entire systems of the media itself. In this, people may receive a translation of something thought to be worth translating, rather than the truth of any event. In a symposium about the terrorist attacks in New York, a Muslim doctor of law said that “it is necessary to understand Muslims in order to eradicate terrorism. To understand Islam, is to read the Koran.” ⁷ This called for an attitude which could pay attention to what is not translated by the media, as a way to understand Islam.
It seems to be important to consider the double-edged nature of translation itself. It functions in filling differences and connecting heterogeneous elements, and yet on the other hand, in the act of translation, there is a limit to which one can decipher other cultural, ethnological, religious, political or economic contexts. As for such inevitable aspects of translation, Sarat Maharaj considers, “to focus on untranslatability is not only to acknowledge from the start the impossibilities and limits of translation. It is to highlight the dimension of what gets lost in translation, what happens to be left over. ” ⁸
The power of the media is overpowering in leveling the differences between individuals within political communities, between individuals and communities, between a community and the other or between a community and refugees, flattening out the realms of communication. Within such an overarching global context, in which many people are defined by powers beyond their control, how is it possible to think of and frame the other apart from what is conveyed through the media? Perhaps a way can be found in a will to re-direct our gaze towards the margins left over during the course of translation while being aware of the characteristics of translation itself. This might equalize the status of the global “grand memories” and personal “small memorabilia”.
The advent of the media in the 20th century has resulted in a homogenizing of people’s memories. Events or ideas have been rendered as a spectacle and drawn attention from around world; in the shadow of this, there have also always existed aspects that it has neglected or failed to capture.
In March 2003, there arises a concern that the game between the United States and Iraq is virtually played out towards real war involving other countries. The media transmits updated news daily reporting on the United Nation’s inspections in Iraq, the attitudes of the French and Russian governments towards the U.N., the United States’ seemingly determined attitudes towards war or the attitude by the Japanese government. Watching this news, however, reminds me of the actors and actresses in “Kandahar”. It should also be a time to re-direct our gaze towards their existence and think of the memories that they have been born with, while also touching the grand memory which we all today share.
Kai Ozawa March 2003
N.B. This essay was submitted before 20th March.
1 Giorgio Agamben, trans. by V.Binetti and C.Casarino “means without end”, Minnesota, 2000, P84
2 Michael Hardt and Antonio Negri, “Empire”, 2000, xii, “Sovereignty has taken a new form, composed of a series of national and supranational organisms united under a single logic of rule. This new global form of sovereignty is what we call Empire. ”
3 Giorgio Agamben, trans. by V.Binetti and C.Casarino “means without end”, Minnesota, 2000, P82 4 Hiromi Abe, “Disappearing Refugee”, Gendai-Shiso, Nov. 2002, P80
5 Mohsen Makhmalbaf, “Press Interview for Kandahar”, Eureka, Mar. 2002, P83
6 ibid. P83
7 Hitoshi Suzuki, “Makhmalbaf and Iranian society”, Eureka, Mar. 2002, P138
8 Sarat Maharaj, “Perfidious Fidelity”, Global Visions, London, 1994, P34